日本人に対する強姦・略奪に味をしめた朝鮮人(韓国人)ら、日本へ向かう

戦後、朝鮮で日本人に対する強姦・略奪に味をしめた、朝鮮人(韓国人)らは、日本人から全てを奪おうと日本へ向かった。 日本でも、同様に強姦や略奪、土地不法占拠など悪事の限りを尽くした。 さらに、日本男性のほとんどが戦争に駆り出されていたため、残っていたのは女、子供、老人ばかりだった。 警察は、GHQから朝鮮人を逮捕することを禁じられていたため、手出しをすることができなかった。 駅前の一等地に在日朝鮮人(韓国人)が多いのはこのためだ。

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彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。 通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、 無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。 善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。 こういった不良分子は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。 警官が駆けつけてきても手も足も出ない。 「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」 警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 (略) 一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。 途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。 「どないしたんや」 「おかあちゃんが、おかあちゃんが」 少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。 この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。 「ここにいるんやで。ええな」 私は少女をその場において一目散に走った。 少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった。 「山口組三代目 田岡一雄自伝」2006年 より抜粋
日本人から略奪した物資を売りさばき開店資金を工面 いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち、在日および帰化者二世・三世を含む)が経営する店の割合は、 六割とも七割とも言われる。三軒に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。 パチンコ台の製造メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が名を連ねている。 パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗戦直後からである。 身近に安価な娯楽がなかったためという理由ばかりではない。 焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出されるタバコだった。 配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水となって、戦後最初のパチンコ・ブームを巻き起こしたのである。 かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが、当時、開店資金をどのようにして工面したのか、 その経緯が在日自身の口からおおやけにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。 『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。 『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。 じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶつこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を作り、 それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。   『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。 うしろ暗い過去があるから、人にも言われんわけでね』 「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社 より抜粋