秘密病院 強姦された女性たち・・・

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終戦後、満州や朝鮮など外地から日本へ引揚げてきたが、その道中大勢の日本人が朝鮮人(韓国人)強姦・略奪された。 何十回、何百回と朝鮮人に輪姦され、海へ身投げし自殺する者が大勢いた。 当時は、堕胎することは厳しく罰せられていた。 そのため、日本政府が秘密裏に強姦された女性のために作られたのが秘密病院(二日市療養所)だった。 医療設備は整ってなく麻酔もないため、堕胎には激痛が伴った。 生きたまま胎児を取り出し、泣き叫ぶ胎児。 その光景はあまりにも悲惨すぎた。

 

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引き揚げ先の博多港から「二日市保養所」(福岡県筑紫野市)に到着した女性たちは、数日間の休養の後、手術室に通された。 麻酔はない。手術台に横たわると、目隠しをしただけで手術が始まった。 医師が、長いはさみのような器具を体内に挿入して胎児をつかみ出す。 「生身をこそげ取るわけだから、それはそれは、痛かったでしょう」 看護師として手術に立ち会った村石正子さん(80)は、硬い表情で思い返す。 ほとんどの女性は、歯を食いしばり、村石さんの手をつぶれそうなほど強く握りしめて 激痛に耐えたが、1人だけ叫び声を上げた。 「ちくしょう」――手術室に響いたのは、痛みを訴えるものではなく、 恨みと怒りがない交ぜになった声だった。 おなかが大きくなっている女性には、陣痛促進剤を飲ませて早産させた。 「泣き声を聞かせると母性本能が出てしまう」と、母体から出てきたところで 頭をはさみのような器具でつぶし、声を上げさせなかった。 読売新聞 九州 より抜粋
満州北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、 ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。 「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。 みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。 城津での惨状は言語に絶した。 朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」 博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、 「二日市保養所」である。 強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。 また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。 正論2005年11月号 より抜粋